夏目漱石心读后感
夏目漱石心读后感
「こころ」という本を読むことになって、私はまず最初に考えたのは、心とは何だろうということです。确かに、谁にでも人の心、気持ち、スピリチュアルオーラというものがあります。でもそれはどこにあるのか分かりません。だからといって、心とは脳だというようなミンスキー的唯脳主义に陥っても良いのでしょうか。仆はまず、そのことを心に留めて読むことにしました。
それは「私」と「先生」との触れ合い、そしてすれ违いを描いた作品でした。特に印象的'な言叶は」「记忆して下さい。私はこんな风にして生きて来たのです。」です。作中、「私」が「先生」から受け取る遗书の一节に、私はどきりとしました。
结局「先生」は死に至りますが、もし「先生」があと少し弱い人间であれば(あと少し强い人间ではなく)、おそらく死ぬことは避けられたでしょう。もしかすると、この本が示すのは、清く生きるのは难しい、ということなのでしょうか。戦争の英雄は戦争で死に、理想家は理想に死ぬということなのでしょうか。そう考えると「先生」が、より理想だけを追い求めて生きる、狂信的な信者によって杀されるというのは、皮肉なことに思います。もちろん、自杀はいけないことです。「明治の精神に殉死する」という言叶には、现代に生きる私には理解しきれない意図があるのだと思いますが、それでもやはり、自分を慕っている妻を置いて死ぬことは裏切りであり、誉められたことではない、と思います。しかし、私は、「こんな风にして」とは、结局どのような生き方のことを指しているのだろう、「先生」は、何を「记忆して」欲しかったのだろう、と、考えずにはいられませんでした。
この作品を読んで感じたのは、「裏切り」ということです。 この作品の主要な登场人物の多くは、裏切りの被害者であり、同时に加害者でもあります。
一见すると、これらの「裏切り」の最大の被害者は「K」だと感じられますが、一方で、彼も、医者を目指すと思わせて実际にはそうしない、という形で养父母を裏切っています。
そしてもちろん、「先生」は、「K」の精神的な弱点をついて「お嬢さん」を手に入れた上、「K」を自杀に追い込んだ、という自责の念をついに妻に打ち明けずに死んでしまったわけで、周囲の人间を裏切っています。
そして、その「先生」も、若い顷には叔父に遗产をだまし取られています。また、「先生」の教え子である「私」が、「先生」の奥さんをなぐさめるうちに関系を持ってしまう、というのも、「先生」の妻に対する态度に一因があるとはいえ、裏切られたと言って良いと思います。
ふだんはふつうの「いい人」として、友だちや家族と仲良くしている人であっても、いったん大きな利害が関わってくると、手のひらを返したように家族や友人を裏切ってしまう、ということは、自分の経験をふり返っても感じられます。
自分も幼驯染を裏切ったことがありました。クラスでは成绩顺位がいつも私と幼驯染を争っていました。幼驯染は病気で1周间が休んだことで大事な试験内容を知らなかったです。普通友达なら、教えるべきなのに、わたしは1位を取りたいため、黙ってしました。结局、予想通りで、わたしは1位でした。今から振り返ってみれば、わたしも完全に友达を裏切ってしまった。当时どうしてこんなことしたのでしょうか。いまだに胸の中に责めています。
作中には、自分の裏切りが、自分に特有のものだ、と思っていたなら、「先生」は、それを「记忆して下さい」などと书きはしなかったでしょう。それが谁にでもあることだと思うからこそ、「先生」は「私」にそれを伝えておく必要を感じたのではないでしょうか。そして、そう伝えた相手が、密かに「先生」自身の妻と関系を持っている、ということに、漱石の强烈な皮肉を感じます。 「私」と「先生」の奥さんの情交の场面での、明治の作品にしてはひどく生々しい描写や、作品全体を贯く露悪的な雰囲気も、そのような漱石の思いの表れかも知れません。
作品の中で描かれた数々の裏切りは、结局は不幸を生み出すだけでした。お互いに信頼し合い、正直であることこそが、お互いの幸せにつながる、というのは、多くの人にとっては闻き饱きた言叶かも知れません。
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